特別展 医は仁術

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第四章 近代医学と仁

明治維新後、明治政府はそれまでの漢方に代わり、西洋医学を中心とすることを決定。明治2年にドイツ医学をモデルとして大学東校(現東京大学医学部)を設立し、医学教育を開始する。
その責任者となったのがオランダ人医師ポンペの元で学んだ佐藤尚中(順天堂創立者・佐藤泰然の養子)であった。また東校の教師として、ドイツ陸軍軍医ミュルレリ、ドイツ海軍軍医ホフマン、 さらにドイツ人外科医スクルバやドイツ人医師ベルツらの御雇い外国人を招聘し、最先端のドイツ医学が導入され、その後の東大医学部の基礎が築かれた。
因みに泰然の次男松本良順は明治陸軍初代軍医総監を務め、その近代化と発展に尽力した。また尚中の養子佐藤進は明治2年に日本人初の留学生としてドイツに留学している。 しかしドイツ医学は当時最新の顕微鏡などを活用した基礎医学的要素が強く、実際の患者を救う臨床医学は重視されていない事もあり、尚中は官職を辞して父泰然の順天堂を継ぎ、 順天堂医院を設立する。
尚中はドイツ留学から帰国した進と共に、医学教育と市井の人々のために臨床医療の実施に努めた。
順天堂は創立175周年を迎えるが、これは現代に繋がる日本の医学の中に「仁」の心が繋がっていることの証であろう。 因みに順天堂の学是は「仁」、ロゴマークも「仁」をかたどったものである。

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